恭加の部屋

アラフィフ・シングルキャリアガールの日々を綴ります

独女はなぜ不倫に対して過敏なのか?

ここ最近、私は不倫に対してかなりヒステリックだと
自分でも反省しています。
不倫していることの、
つらさや不憫さをもっとしている本人たちに気付いてほしくて
きついことを書きましたが、
不快に思われたり、傷つかれた方がいるなあと思いました。


ある方が、自分の内面に何か根源があるかもしれないから
向き合ってみては?みたいな助言もあり考えていました。


それは、私の父が外に女を作っていたのを
子供心ながら私は知っていたからです。


はるか昔のことですが
私は小学1年生ぐらいのときです。
母は妹が生まれたばかりで産後の日達が悪く
体調を崩していた頃がありました。


父が夏休みに海水浴につれていってやろうと
言い出し、私は喜んで父と出かけました。
母は当然、来ません。
父はどこかに寄って行きました。
いつの間にか知らないきれいな女の人が
車に乗っていて、
私は子供だったので、あまり何も考えてなく
きれいなお姉さんと海に行くんだって思ってました。


今、思えばそれは父の女、
だったのだと思います。
父は小さいですが会社を立ち上げて
世間一般では社長さんだった。
当時は高度成長期で、景気が良かったので
私も幼少期はお嬢さまだったのでしょうね。


私が高校生になった頃、
その時も、たぶん女がいました。
そのころ、父が50歳で母が45歳くらいだったと思います。
母がカレンダーに父が夜中に帰って来た日、
あるいは朝帰り、帰ってこなかった日を
カレンダーに印をつけていたのを
私は見ていた記憶があります。
当時、ご主人を早くに亡くして
女手一人で、娘を二人育てていた
飲み屋を経営していたママさんがいて
父はそこに入り浸っていたとかなり大人になってから
私は知りました。


でも、そのカレンダーに印をつけていた
うつろな表情の母の顔が今でも忘れることができません。
母も当時は何も言わなかったし、
私も聞かなかったけど、イライラしていた母を見ていて
私は父を心の中で軽蔑し、
相手の飲み屋のママのことを憎みました。


そんな状態になった頃から
父の会社は、少しづつうまく行かなくなり
最終的には倒産しました。
借金を返済するために家は売却し、
一時期、私たち家族は母方の祖父の家にお世話に
なっている時期もありました。
相手の女性は、手の平を返すように
父とはすぐ別れて、店もたたんでどこかに
行ってしまいました。


今と時代は違うし、母も私たちのことがあったから
離婚はしませんでした。


ただいろいろあったけれど
最後は家族でまた出直し、老後は
父もただのおじいさんになって、12年前に他界しました。


私、こう書くと、
けっこう苦労人でしょ?


私は不倫をした父と、それに耐える母の
女としての苦労を見てきた子供でした。


だから愛があるから、本人たちはそれで
いいのでしょうが、
家族のことをもっと考えてと。
まあ、時代が時代ですから
私の父みたいに、堂々という人はいないでしょうが
でも、子供でも何かを感じるんですよね。


私は20代のとき、結婚を考えて付き合った男性がいました。
いざ、結婚となったとき
相手の両親が猛反対してきて、破断になりました。
たぶん、私の父のことを調べたんでしょうね。
そんなことをする親の娘だから
ろくなものではないと。


私が結婚しないのは、
こんなトラウマがあるのかもしれません。
自分では、そう思ってないつもりなのですが、
でも、そうなのかもしれません。


どこかで男性のことを信用してないんでしょうかね?
だから結婚しないのかもしれない。


私は因果応報と書いたのは、
こういうことなんです。


あなた方のご子息が結婚とかなったときに
何かで、あそこの母親は男狂いだったからね?って
なったら可哀想でしょう?


自分の恥をさらしました。


私は反面教師で
真面目に生きてきましたよ。
仕事だって、男性並みにしてきて、
両親が家を手放したし、財産も何も残してくれなかったから
自分でマンションも買いました。
自分でいうのも変だけど
けっこういい女だと思ってます。
モテないわけでもありません。
確かに気は強いし、可愛げはないかもしれない。
でも、昔の男を時には思い出し、
涙するかわいいところもあります。
父のことも、亡くなってしまえば
優しかったいい思い出しか浮かばない。
一時、父のことが嫌いな時期もあったけど
こんなに早く亡くなるのならもっと優しくしてあげれば
よかったと後悔もします。


私が不倫に対して厳しいのは
こういうことなんです。
ご自分の家族に悲しい思いをさせないで下さい。